2008/01/04

大和三山を行く。

正月も四日目ともなると なんだか体がなまってきます。
そこで今日は今年最初のウォーキングに出かけたわけですが、その前に我が家の今年の正月はというと・・・・

元旦:毎年と同じく朝の5時頃出発し、信貴山朝護孫子寺へ初詣。
    あいにくの天気で初日の出は拝めず・・・
    しかしながら、霊験あらたかな信貴山で迎えた朝は荘厳な気分。。
    帰宅後今度は近所のシネコンへ向かい、初映画鑑賞。
    で、観た映画は、「エイリアンズVSプレデター2」。
    う~ん、新年早々なんちゅうモン観んねん!
2日:アクティブな元旦を過ごした後は、一日TVを観ながら家でまったり。。
3日:三重県名張市の青蓮寺湖観光農園でいちご狩り。
   正月早々いちご狩りかよ、と思うでしょうが、実はこの時期が
   一番いちごがうまいんだそうです。
   (去年同じ農園で教えていただきました)
   実際めちゃ甘くてうまいいちごに舌鼓。
   ですが制限時間30分のところ、15分で腹一杯になり終了。
   あとはいつも立ち寄る、「赤目温泉 山水園」さんへ。
   もちろんお目当ては温泉。
   ここの温泉は関節痛や五十肩、さらには痛風にもよいそうで、
   小一時間ほどたっぷりと温泉を味わう。
   この時点でまだ午後1時過ぎ。 時間もあるし、久しぶりに伊賀城
   を訪れ、天守閣や忍者屋敷を見物。

そして本日4日は、大和三山を巡るウォーキング!
好都合なことに我が家は近鉄大阪線沿線にあるので 奈良方面に行くには断然電車を利用しての移動が便利だ。
今回は「橿原神宮前駅」まで電車で移動~橿原神宮~畝傍山~神武天皇陵~香久山~藤原京跡~耳成山~「八木駅」から帰途につくコース。                                            
それにしても「大和三山」がいずれも「登れる山」だったとは、し、知らんかった~~。。(汗;
橿原神宮の様子。
正月もさすがに4日になると参拝客も少なめです。
もちろん祀られているのは、初代天皇と言われている、神武天皇。
そして左の写真にあるように、今年は神武天皇の時代から数えて「二千六百六十八年」だそうです。。(!!!)

参拝した後、次はいよいよ大和三山のひとつ、「畝傍山」に向かう。
いつもそんなに標高の高い山を登っているわけではないけど、たかが標高199mの畝傍山。
はっきりいってなめてかかってましたけど、これがなかなか登り甲斐のある山道で、もちろん距離はないんですが、適度な上り坂もあり 少々鈍った体には丁度いい負荷加減です。

畝傍山山頂の「三角点」。
ちゃんとした「山」である証明ですね。










畝傍山山頂から望む、山々。
右に見えるのが、二上山。







山頂から山の麓に下りると、「畝傍山口神社」があります。
赤い鳥居をくぐると、小さな社まで続く参道には多くのモミジが植えられていて、秋に紅葉する様子はなかなか見事だそうです。
また、この神社についてネットで調べてみると、この畝傍山口神社は1300年以上前に出来た神社だそうで、第14代の仲哀(ちゅうあい)天皇の妻の神功(じんぐう)皇后が、妊娠中にもかかわらず「三韓出 兵」に行き、その帰りに、畝傍山の山頂で、後の応神天皇を産んだことから、安産の神様として信仰を集めているそうです。
また、元々は畝傍山の山頂にあったんですが、 60年ほど前、神武天皇陵を見下ろすのはけしからんということで、強制的に、畝傍山の西側の中腹に引っ越しをさせられたそうで、どうりで山頂に「殿跡」と書かれた石碑が建ってました。。


確かに「子宝に恵まれる」と書かれた立て看板と共にこんなものもありましたけど・・・・
こりゃどうみても、ち○こと お○こだよね~。。
おまけにお○この割れ目チャンからみごとな苔まで生えている。。
お~い、ココは「伊勢の秘宝館」かよ!(爆






さて、気を取り直して、神武天皇陵へ。
この神武天皇陵は、江戸時代に今の地に定められ整備されたそうですが、ホントかどうかは不明らしいです。
「ほんまかどうか、掘ってみたらわかるがな」と思うんですが、天皇陵だけに当然管理しているのは宮内庁で、なんでもいったん宮内庁管轄になると 何人たりとも出入り禁止となり、発掘の許可など到底下りないらしく、したがって真偽のほども確かめようがないそうです。
でも、もしこの神武天皇をはじめとする、「欠史八代」といわれる天皇達のそれぞれの御陵を発掘することで、神話の話じゃなく実在していたと証明されたとしたら、日本古代史最大の大発見になるんですけどね~~。。

またこのあたりには、第二代綏靖(すいぜい)天皇陵、第三代安寧(あんねい)天皇陵、第四代懿徳(いとく)天皇陵、第二十八代宣化(せんか)天皇陵が点在しており、いずれまたこれらの天皇陵を探索してみようと思っています。

さて、次は「香久山」に向かう。

「香久山」山頂(標高152m)にある、「国常立(くにとこたち)神社」。
実は畝傍山と耳成山の山頂には「三角点」があるが、この香久山にはない。
これはなぜかというと、畝傍山と耳成山の二山は独立峰の死火山なのだが、香久山だけは独立峰ではなく、かつて連なっていた多武峰(とうのみね)山系から延びた尾根が、長い年月の中で浸食され、香具山の部分だけが残り 今の姿になったことから三角点がないそうだ。



山頂から下ると麓には、「天香久山神社」や「天の岩戸神社」がある。
(写真は、天香久山神社の様子)
「天の岩戸神社」はいうまでもなく、天照大神がその弟である須佐之男命の乱暴ぶりに怒り、岩屋の奥に隠れてしまった云々の物語のアレだ。
そしてご神体は、もちろん「天の岩戸」。
しかし調べてみるとこの神話の舞台とされる場所は有名な宮崎県高千穂町以外にも全国にあるようですね。


さてさてこのあとは、いよいよ最後の目的地、「耳成山」を目指すわけですが、途中に「藤原京跡」があります。
この藤原京跡に立ち、まわりをぐるっと見渡すと まさしく大和三山に囲まれ、守られているように設営されているのがよくわかります。




























上から、畝傍山、香久山、耳成山。(いずれも藤原京跡より望む)

さて最後の「耳成山」は、標高139mと 一番低い山ですが、麓は耳成山公園として整備されており、また登山道も広くなだらかな上り坂が続く、歩いていて(登ってではなく)とても気持ちのいい山です。

しかしながら、さきほども書いたとおり、れっきとした「山」ですから、当然三角点もございます!







山頂から少し下ったところにある、「耳成山口神社」の様子。








耳成山登山道から望む、畝傍山。
ちょうど雲の切れ目から、神々しい光が差してきた。
古代人だけでなく現代に生きる我々もこの神々しい様子を見れば、なにか神秘的な物を感じずにはおられない。





さてさてこうして今回初めて大和三山を巡ったわけですが、もともと日本の古代史が結構好きなアホアホ夫婦は、今まで以上に古代史にはまっています。
ちなみにウチのヨメは、記紀はすでに読破し、壬申の乱を題材にした漫画、「天上の虹」に今ははまっております。
そしてわたしは、地元の豪族、悲運の「物部氏」についての書籍を今は読みあさっており、物部氏だけではなく古代ヤマト朝廷や、ひいては「邪馬台国」のなぞをも解くカギかも知れないといわれる、「纒向(まきむく)遺跡」にひどく心を引かれております。。(笑

さあて、次はどこに行こうかな?

2008/01/01

明けまして、おめでとうございます。

本年もヨロシクお願いします。

ということで、2008年の幕が明けました。
で、さっそく毎年恒例の初詣にでかけた。
行き先は、信貴山朝護孫子寺。
去年同様今年も初日の出を拝むため、朝5時すぎに自宅を出発。
日の出時間の約30分前からカメラ片手に日の出をじっと待つ。
東の空が燃えるように赤く染まってきたのだが、その後黒い雲に覆われ出し、結局今年は初日の出を拝めず。
残念!!
写真は、「初朝焼け」の図。